同窓会の沿革
専修大学附属高等学校の同窓会は、以下の歴史を刻んでいまにいたっております。
昭和34年11月15日 | 努力会(同窓会)を創設 | 学校 講堂に於いて開催 初代会長及び幹部役員を選出。 会長・深沢 一夫、副会長・奥沢 廣、旦尾 嘉照、橘田 健司、大塚 順三郎 |
昭和40年10月09日 | 小池茂実先生胸像の寄贈 | 同窓会設立記念の創立者小池先生の胸像除幕式並びに母校への寄贈式挙行 |
昭和44年05月18日 | 設立10周年記念式典・総会 開催 | 設立10周年記念式典及び総会を開催 |
昭和51年4月1日 | 会長辞意 役員改選 | 会長・旦尾 嘉照、副会長・奥沢 廣、大塚 順三郎、速水 博司 |
昭和53年05月13日 | 会長逝去 役員改選 | 会長・大塚 順三郎、副会長・奥沢 博司、速水 博司、新倉 利貞 |
昭和57年07月24日 | 役員改選 | 会長・大塚 順三郎、副会長・速水 博司、新倉 利貞、國島 廣箇 |
昭和62年01月31日 | 会長逝去 役員改選 | 会長・新倉 利貞、副会長・速水 博司、國島 廣箇、秋田 育久 |
平成3年10月01日 | 会則改定(副会長・5人、任期3年) 役員改選 | 会長・新倉 利貞、副会長・國島 廣箇、秋田 育久、金指 幹郎、奥村 芳雄、宮原 昭紘 |
平成3年 | 附属4校と連携 | 附属4校連絡協議会を設置 |
平成7年10月01日 | 会則改定(会の名称変更) | 努力会から同窓会に変更、努力会の名称は、愛称とする |
平成9年07月05日 | 役員改選 | 会長・新倉 利貞、副会長・國島 廣箇、秋田 育久、金指 幹郎、宮原 昭紘、山本 恵一 |
平成11年05月19日 | 設立40周年記念総会 開催 | 中野サンプラザにて開催 記念誌刊行 |
平成14年10月01日 | 役員改選 | 会長・秋田 育久、副会長・國島 廣箇、宮原 昭紘、石塚 一郎、舟坂 誓生、梅田 益男 |
平成16年11月23日 | 新校舎 体育館緞帳を寄贈 | 母校の新校舎落成 体育館ステージの緞帳をH14、H15,H16卒業生と共に寄贈 |
平成17年10月01日 | 役員改選 | 会長・宮原 昭紘、副会長・河野 敏男、石塚 一郎、舟坂 誓生、銭谷 正勝、梅田 益男 |
平成19年 | いずみ祭に参画 | いずみ祭会場に「憩いの部屋」開設 |
平成20年10月01日 | 会則改定 役員改選 | 石塚副会長、辞意 浅沼 敏幸 副会長、選出 |
平成21年05月16日 | 設立50周年記念総会 開催 | 京王プラザホテルにて開催 記念誌刊行 |
平成23年 | 同窓会新聞発刊 | 同窓会新聞を年2回発行を施行 |
平成23年10月01日 | 役員改選 | 会長・宮原 昭紘、副会長・銭谷 正勝、舟坂 誓生、浅沼 敏幸、梅田 益男、原 秀樹 |
平成25年03月03日 | 卒業式に参画 | 卒業式に同窓会賞贈呈 |
平成26年10月01日 | 役員改選 | 会長・宮原 昭紘、副会長・銭谷 正勝、浅 沼敏幸、梅田 益男、原 秀樹、吉橋 政幸 |
平成29年10月01日 | 役員改選 | 会長・銭谷 正勝、副会長・浅沼 敏幸、梅田 益男、川口 富昭、麻生 行雄、吉橋 政幸 |
令和元年6月 | 設立60周年記念総会開催 | ホテルニューオータニにて開催 |
令和2年10月01日 | 役員改選 | 会長・銭谷 正勝、副会長・梅田 益男、川口 富昭、麻生 行雄、吉橋 政幸、高崎 孝夫 |
学校の沿革
専修大学附属高等学校も歴史が長く、大正時代から以下の沿革にて今日に至ります。
年次 | 学校の沿革(当時の校名) | 卒業生数 |
大正14年~昭和7年 | 中央女学校 | 124人 |
大正14年~昭和11年 | 早稲田商業学校 | 996人 |
昭和 9年~昭和23年 | 帝国商業学校 | 2,627人 |
昭和20年~昭和21年 | 帝国工業学校 | 107人 |
昭和 4年~昭和24年 | 京王商業学校 | 1,827人 |
昭和23年~昭和30年 | 京王高等学校 | 873人 |
昭和24年~昭和39年 | 京王幼稚園 | 834人 |
昭和22年~昭和24年 | 和泉中学校 | 430人 |
昭和24年~昭和30年 | 京王中学校 | 598人 |
昭和30年~昭和42年 | 専修大学附属京王中学校 | 192人 |
昭和30年~昭和44年 | 専修大学附属京王高等学校 | 6,306人 |
昭和44年~現在 | 専修大学附属高等学校 | 19,620人 |
卒業生合計 | 34,534人 |